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ビッグダディ (プロレスラー) : ミニ英和和英辞書
ビッグダディ (プロレスラー)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ビッグダディ (プロレスラー) ( リダイレクト:ネルソン・フレイジャー・ジュニア ) : ウィキペディア日本語版
ネルソン・フレイジャー・ジュニア[ちょうおん]

ネルソン・フレイジャー・ジュニア(''Nelson Frazier, Jr. ''、1971年2月14日 - 2014年2月18日)は、アメリカ合衆国プロレスラーテネシー州メンフィス出身のアフリカ系アメリカ人
WWEではメイブル(''Mabel'')、ヴィセラ(''Viscera'')、ビッグ・ダディV(''Big Daddy V'')、全日本プロレスではビッグ・ダディ(''Big Daddy'')、ビッグ・ダディ・ブードゥー(''Big Daddy Voodoo'')などのリングネームで活躍した。
== 来歴 ==
1991年ジェリー・ジャレットジェリー・ローラーが主宰していた地元メンフィスのUSWAでデビュー。ネルソン・ナイト(''Nelson Knight'')のリングネームを名乗り、ボビー・ナイトことロバート・ホーンとの黒人タッグチームザ・ハーレム・ナイツ(''The Harlem Knights'')で活躍、ジェフ・ジャレット&ビッグ・ボスマンザ・ムーンドッグスなどと抗争を展開した。
1993年よりホーンと共にWWF(現・WWE)と契約。ホーンはモー、自身はメイブルと名乗り、ラップ担当のオスカーをマネージャーに加えたヒップホップ系ユニット、メン・オン・ナ・ミッション(''Men on a Mission'' / 略称はメイブル、オスカー、モーの3人のイニシャルでもあるMOM)を結成。リング上でラップを踊るベビーフェイス軍団として子供たちの人気を集め、1994年3月29日にはジャックピエールのザ・ケベッカーズを破りWWE世界タッグ王座を獲得した。
1995年にモーと共にヒールに転向し、6月25日のキング・オブ・ザ・リング優勝を機にキング・メイブルと改名。8月27日のサマースラムではディーゼルWWF世界ヘビー級王座に挑戦するなどトップ・ヒールとして活躍した。
1996年のWWF離脱後はプエルトリコWWCやMCWなどで活動。WWCではカルロス・コロンを下しユニバーサル・ヘビー級王者となるが、アブドーラ・ザ・ブッチャーに敗れて王座から陥落した。
1999年にWWFと再契約し、ヴィセラのリングネームでジ・アンダーテイカー率いる暗黒軍団ミニストリー・オブ・ダークネスのメンバーとなる。2000年4月2日にはタズからハードコア王座を奪取するも、リキシ戦での怪我で同月に解雇され、その後はTNAなどを転戦した。
2004年よりWWEに復帰し、同時期に再契約を交わしたギャングレルと共に、9月16日のスマックダウンに登場。当時のWWE王者JBLを攻撃するミニストリー時代の主君、アンダーテイカーを急襲した。しかしこのアングルは長続きせず、ヴィセラはロウに移籍した後ベビーフェイスに転向し、しばらくはミッドカードを中心に戦う。その後、ナイトガウンとパジャマに身を包み、女性を惹きつける「ラブマシーン」ギミックのキャラクターに変身。リング・アナウンサーリリアン・ガルシアとの恋愛ストーリーが組まれる。最初は嫌がっていたリリアンも、最終的にはリング上でキスを交わすほどの仲にまで発展。しかし、ザ・ゴッドファーザーが連れてきたHoにヴィセラが惚れてしまい、恋愛ストーリーは終結を迎えた。
2006年には、バル・ビーナスとタッグを組み、入場テーマもその容姿とはミスマッチな曲に変更。たまたまチャーリー・ハースが、入場シーンでリリアン・ガルシアにぶつかり怪我を負わせてしまったことにより(この事故自体は偶然の産物である)、過去の恋愛関係を引きずっていたヴィセラが抗争相手に抜擢されたが、2人そろってリリアンに振られる形で抗争を終える。
2007年ECWへ移籍し、ヒールターンしてビッグ・ダディVのリングネームで活動。かつてのワンマン・ギャングバンバン・ビガロなど、肥満体の重量級選手は見栄えの悪いボディを隠すためにTシャツなどのコスチュームを身に纏ったまま試合をする場合が多く、メイブルやヴィセラも同様だったが、ビッグ・ダディVはその肥大化した上半身を曝け出し、超巨漢ヒールの迫力を醸成。同年12月16日のアルマゲドンではスマックダウン所属のマーク・ヘンリーと「0.5tタッグ」を組み、CMパンク&ケインに勝利、圧倒的な存在感を見せつけた。
2008年2月17日のノー・ウェイ・アウトでは、レッスルマニアでの世界ヘビー級王座挑戦権をかけたエリミネーション・チェンバー・マッチに出場するなど活躍をするものの、ウェイトダウンのための欠場後、復帰をしないまま同年8月にWWEを解雇された。その後はキングV(''King V'')をリングネームにインディー団体のNWAに参戦、リトル・グイドーボールズ・マホーニーとユニットを結成した。
2010年全日本プロレスに来日し、ビッグ・ダディ・ブードゥーの名でVOODOO-MURDERSに加入。TARUとのタッグで&浜亮太からアジアタッグ王座を奪取した。ブードゥー・マーダーズ解散後はビッグ・ダディと改称。同じブードゥー・マーダーズのメンバーであったジョー・ドーリングとタッグチームを結成するなどして活動した。
2014年2月18日、心臓発作のため死去()。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ネルソン・フレイジャー・ジュニア」の詳細全文を読む




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